2023年12月25日のリアクションを最後に、ブログやSNSの更新が途絶えている居原田麗(いはらだ れい)医師。
様々な方面から心配されるなか、残された4人のお子さんと旦那さんの状況にも注目が集まっており、中でも
「旦那はヒモではないか?」「旦那の職業はなに?」
といった旦那さんの財政状況ついての懸念の声も上がっています。
そこでこの記事では、居原田麗医師の旦那さんの職業や年収について深堀していきます!
居原田麗医師 旦那の職業は?
居原田麗医師の旦那さん(写真左)は特に氏名や年齢、職業などを公表されていません。
しかし、その特徴的なルックスから、
・サッカー選手説
・美容師説
・医者説
など様々な推測がされています。
確かに、少しチャラそうな、独特な雰囲気があるのは写真からも伝わってきますね。
それが故に、このような説が浮上しているのかもしれません。
実際に居原田麗医師はプロサッカーチームである「レイラック滋賀FC」のサポーターであることも公表されており
サッカー選手であるという噂が立つ理由もなんとなく推測できます。
確かに長髪にヒゲといった組み合わせはサッカー選手のような印象がありますが、
はたして、居原田麗医師の旦那さんの職業は一体何でしょうか?
居原田麗医師 旦那の職業が判明
気になる居原田麗医師の旦那さんの職業ですが、なんと居原田麗医師へのインタビュー記事の中で明らかにされていました。
居原田麗医師が2011年に開院された「麗ビューティー皮フ科クリニック」の事務長として、夫婦ともに経営をされています。
09年、28歳で長男を出産した。同志として居原田の夢を後押ししてくれる夫を事務長に、郷里の草津市に麗ビューティー皮フ科クリニックを開院した。
引用元:集中MediCon
そのため、前述したサッカー選手説などは全て見当違いとなります。
確かにスーツを着ると一気にしっかりとした見た目になりますね!
一家の主として、家族を引っ張っていられる姿が目に浮かびます!!
ちなみに、以前は旦那さんも顔出しで投稿されていましたが、ここ最近は下記のように顔を隠されていらっしゃいます。
しかし、それでも特徴的な髪型や服装などは隠せていませんね(笑)
こういった外見の変化が少ないところからも、
今現在も変わらず「麗ビューティー皮フ科クリニック」の事務長をされていると推測されます。
夫婦で支えあいながら事業を成功させているのは本当にすごいですね!!
居原田麗医師 旦那の年収は?
このように「事務長」といった形で居原田麗医師をサポートされている旦那さんですが
いったいどれくらいの年収なのでしょうか。
旦那の年収は推定3000万円!
居原田麗医師の旦那さんは一般人ですので年収は公表されていませんが
一般的に、皮膚科の開業医の年収は約2792万円とされています。
厚生労働省が公表した資料によると、皮膚科の開業医の平均年収は約2,792万円です。皮膚科の開業医は、勤務医の約2.6倍の年収となることが分かります。
引用元:「医院承継」サポート
あくまでもこの額は医師目線での年収となりますが、このうちクリニックの運営で得られる収入を旦那さんの年収とみると、軽く1,000万円は超えると想定されます。
また、居原田麗医師の知名度も相まって「麗ビューティー皮フ科クリニック」は2店舗出店されており、その人気も高いため多くて2~3,000万円という可能性もあります。
旦那はヒモではない!
これだけ嫁の成功にあやかっている居原田麗医師の旦那さんは、果たしてヒモと呼べるのでしょうか。
ヒモであるかどうかは明確な定義がないため、判断する方の主観に左右されてしまうところもありますが
筆者は決してヒモではないと考えています。
実際に居原田麗医師へのインタビューを見てみると
治療の支えになっているのは夫や子どもたち。そして、ブログを通した交流だという。
引用元:週刊女性PRIME
といったように、旦那さんも含めて皆さんの支えの中で現在居原田石は闘病されています。
ヒモではなく、夫婦支えあって困難も乗り越えられていると考えられます。
ぜひ、今後の闘病生活も家族の力で乗り越えていただきたいですね!!
居原田麗の旦那の職業はクリニック事務長!年収が低くてヒモ説は嘘だった! まとめ
いかがでしたでしょうか。
現在、居原田麗医師の安否について注目度が高くなっています。
とても心配ではありますが、今後も旦那さんをはじめとして
居原田さん家族一丸となって闘病生活を乗り越えてぜひ元気な姿を今一度拝見したいですね。
筆者は微力ながらも、一日も早いご回復を願っています。
居原田麗医師 プロフィール
名前:居原田 麗(いはらだ れい)
生年月日:1981年6月11日(43歳)
出身地:滋賀県草津市
趣味:旅行・スキューバダイビング・ワインエキスパート
身長:171cm 体重:53Kg
居原田麗医師は幼いころから努力家で、特に勉学には人一倍精を出されていたようです。
父親は一般的なサラリーマンということもあり、裕福な家庭というわけではなかったようですが
姉と弟の3人きょうだいの間で、健やかな家庭で育たれたそうです。
共働きの母親はパート勤めをしており、その大変な姿を見て「自分は手に職をつけたい」と思い、医師への道を志されたそうです。
そして、高校生の頃クラスメートに「一緒に滋賀医大に入ろう」と誘われたこともあり入学試験へ挑戦。
見事そのクラスメートともに現役での合格を実現されたそうです。
写真は27歳のころの運転免許証から。(こちらのブログ記事よりお借りしました。)
当時からとってもお綺麗ですね!!
無事に闘病生活を乗り越えて、また素敵な笑顔を見られる日を楽しみにしています!
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