2024年4月期にスタートした連続テレビ小説『虎に翼』で岩田剛典さん演じる男子学生・花岡悟(はなおか さとる)。
実は彼にはモデルとなったと言われている人物がおり、その名も「山口良忠(やまぐちよしただ)」と言います。
一体どんな人物だったのでしょうか。まとめていきます。
この記事を読むとこれがわかる
・花岡悟のモデルとなった山口良忠はどんな人物なのか
花岡悟(岩田剛典)のモデルは山口良忠
虎に翼の主人公寅子が通う名立大学の同級生で岩田剛典さんが演じている花岡悟は
社交的で学生たちの中心人物として学業に励んでいる様子が描かれています。
女性にも心を開き共に行動をしているためとても人気を集めている花岡ですが、実はモデルがいると言われています。
それが、この画像の男性で裁判官だった山口良忠(やまぐちよしただ)裁判官です。
では、一体どんな人物だったのでしょうか。詳細を見ていきます。
花岡悟のモデル・山口良忠 経歴
山口良忠裁判官のwiki風プロフィールは下記です。
・名前:山口良忠(やまぐち よしただ)
・生年月日:1913年11月16日
・死没:1947年10月11日(満33歳没)
・出身:佐賀県杵島郡白石町
・職業:裁判官
山口裁判官は、1934年に京都帝国大学法学部法律学科に入学し、高等文官試験司法科試験に合格し判事となります。
1942年ん位東京民事地方裁判所に転任し、1946年10月には東京区裁判所の経済事犯選任判事となる等
若くして相当なキャリアを築き上げた優秀な人物だったと言われています。
2人の子宝にも恵まれ、順風満帆かのように見えた山口裁判官ですが、当時の情勢とその実直な性格から
悲劇的な最期を迎えることになります。いったい、何があったのでしょうか。
花岡悟のモデル・山口良忠 死因は餓死だった?
山口裁判官の最期は、なんと「栄養失調による餓死」だったと言われています。
1946年に赴任した東京区裁判所では食糧管理法違反で起訴された被告人の担当をするようになったこともあり
自身もその責任感から配給食糧以外は食べてはいけないという思いになり、1946年10月ころから
いわゆる「闇米」を拒否するようになりました。
しかも、その唯一の食糧である配給を2人の子供に与えたため、山口裁判官並びに妻は汁だけの粥をすするなど
到底栄養が足りない状況で生活をしていました。案の定体調はみるみる悪化し、1947年8月には倒れました。
その後故郷に帰りましたが、時すでに遅し。10月11日、栄養失調に伴う肺結核で33歳の若さで亡くなりました。
この山口裁判官の訃報は全国的に報道され、食糧管理法という法律の過酷さが問いただされるきっかけになりました。
かつ、裁判官や判事の給与引き上げの要因ともなるなど、
後の日本の司法の在り方にもおおきな影響を与えました。
山口良忠 花岡悟の人物像への影響は
そんな責任感が強く意思が固い山口裁判官がモデルと言われる花岡悟はどのように描かれるのでしょうか。
花岡悟のモデルが山口裁判官だと言われる理由は主に3つあります。
理由①:死因が餓死で共通している
現在様々な考察がネット上に上がっていますが、すべからく花岡悟の最期は餓死をするのでは?と言われています。
人一倍正義感が強い花岡悟は、闇市での食料を手にしないという姿勢を貫き通し
栄養失調で餓死してしまいます。これは前述した山口裁判官の最期と一致しています。
理由②:没年が同じ
加えて、花岡悟が亡くなったとされる年が1947年で一致しています。
闇市が横行したのが戦後間もない年代だったということもあり、必然的に同じ年代になった気もしますが
同じ年に亡くなっていることが、何より山口裁判官との共通点であると思われる理由ですね!
理由③:佐賀県に赴任
また、花岡悟は裁判官になったのち、佐賀県赴任しています。
山口裁判官も、最後は佐賀県に赴任しているところから一致していますね。
数多くある都道府県の中からたまたま一致するにはあまりに可能性が低いですね。
違っている点も多い
これらの理由から、山口裁判官がモデルと言われているからかとは思いますが、そもそも論で寅子のモデルとなった
三淵嘉子さんと同じ学校に通っていたなど異なる設定になっている部分も多いので定かではありません。
こういった点も含めて、今後のドラマ展開が楽しみですね!!
【虎に翼】花岡悟(岩田剛典)のモデルが山口良忠と言われる理由3選!死因は餓死だった? まとめ
いかがでしたでしょうか。
ストーリーにも大きく影響を与えている花岡が、モデルとなった山口氏の人生をどこまで反映するか
今後の展開に注目ですね!!ますます目が離せません。
最後までご覧いただきありがとうございました!
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