【アサクリ炎上】弥助は侍ではなかったといわれる理由3選!黒人奴隷説はデマだった?

Ubisoftの人気ゲーム「アサシンクリードシャドウズ」(アサクリ)が炎上状態になっています。

日本の戦国時代を舞台とした本作に登場する「弥助」という黒人侍の描写や設定について多くの意見が寄せられ

中には「弥助はそもそも侍ではなかった」という意見まで登場しています。いったい事実はどうなのでしょうか。

炎上の経緯並びに、弥助が本当に侍だったのか?黒人奴隷説についてもわかりやすくまとめていきます。


この記事を読むとこれがわかる

・なぜアサクリは炎上しているのか
・弥助はそもそも侍だったのか

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目次

アサクリはなぜ弥助問題で炎上しているのか

そもそもなぜアサクリは現在炎上しているのでしょうか。

複雑になってしまっているので簡単にまとめると下記のようになります。

アサクリが炎上している理由

・アサクリは通常実在した人物をモデルにしてその地域とともにキャラ設定をしている
→プレイムービー内での季節がバラバラなど、描写が適切でない箇所が多数
→関ケ原鉄砲隊の旗印を無断盗用したことが判明。デザイン盗用問題に発展
→さらに史実がほとんど残っていない弥助をを起用したことで、認識相違で炎上状態に

様々な問題が重なっているため大変わかりやすいですが、一言で言えば

「デザイン盗用で注目が集まり、弥助という人物についての議論が白熱している」

といった流れになります。

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そもそも弥助とは何者なのか

では、その渦中の「弥助」という人物はいったい何者だったのでしょうか。

Wikipediaは現在様々な人物によって編集がされておりカオスな状態となっていますが下記のように記載があります。

弥助(やすけ、生没年不詳)は、戦国時代の日本に渡来した黒人男性。
宣教師の奴隷または従者として戦国大名・織田信長に謁見して気に入られたことで、宣教師から信長に進呈された。信長が死去するまでの15か月間、信長に仕え、その家臣に召し抱えられた。

引用元:Wikipedia

近年では、「信長の家臣だった黒人侍」としてNHKが「ブラック・サムライ」という番組を作成したところ

これが日本大学准教授トーマス・ロックリー氏の著作がもとになったとされており話題になっています。

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しかし、この『信長と弥助』という著作内では弥助は侍とされていますが

実は弥助は侍ではなかったのでは?とも言われています。

いったいなぜそのように言われているのでしょうか。

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弥助は侍ではなかったといわれる理由3選!

弥助が侍ではなかったといわれている理由は、主に下記の3つが挙げられています。

弥助が侍ではなかったといわれる理由

理由①:弥助に苗字がないため
理由②:歴史的史実がほとんどなく証拠がないため
理由③:そもそも黒人奴隷にすぎなかった?

それそれについて詳細を見ていきます。

理由①:弥助に名字がないため

最も多く疑問視されているのが、弥助に「名字」がない点です。

侍といえば士農工商の職業区分でもトップに君臨し、唯一名字が与えられていた階級でもあります。

そんな武士の証拠でもある名字が弥助にはないため、武士ではなかったのではないかといわれています。

しかしこれだけで決めつけるのは尚早で、そもそもそれは江戸時代になってからという見方が一般的です。

信長が活躍していたのは安土桃山時代~戦国時代。

江戸時代が始まる前なので名字の有無=武士か否かを判断するのは

定義上では難しいのでは、といった意見が多く寄せられていました。

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理由②:歴史的史実がほとんどなく証拠がないため

そもそも弥助については『信長公記』にちょこっと登場しただけで

歴史的書物にほとんど登場していません。

天正9年2月23日(1581年3月27日)に、ヴァリニャーノが織田信長に謁見した際に召使として引き連れていた。
『信長公記』には「切支丹国より、黒坊主参り候」と記述され、年齢は26歳 – 27歳ほどで、「十人力の剛力」、「牛のように黒き身体」と描写されている。

引用元:Wikipedia

中には、弥助は実際似た信長のただの「荷物持ち」に過ぎなかったとする説もあり、侍には程遠かったという見方もあります。

また、弥助が信長に仕えていた時期も短く、具体的な功績や活動記録なども残っていません。

それにもかかわらずロックリー氏の著書やアサクリでは重要人物として描かれていることに違和感を覚えている方が多いようです。

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理由③:そもそも黒人奴隷にすぎなかった?

また、当時弥助を連れてきたポルトガル人は「黒人奴隷」としてつれてきていたとされており

弥助も一奴隷にすぎなかったのではないかとロックリーの著書には書かれています。

しかし、日本に奴隷制度があったという事実はなく、これは確実にデマであると言えます。

つまり、こういった少ない史実であるにもかかわらず示された著作をもとに番組やゲームが取り上げていることが

そもそもこの炎上の一番の原因であると言えます。

今後この話題はさらに議論がなされることが想定されますので、詳細がわかり次第追記させていただきます。

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【アサクリ炎上】弥助は侍ではなかったといわれる理由3選!黒人奴隷説はデマだった? まとめ

いかがでしたでしょうか。

たかがゲーム、されどゲームでこの話は様々な歴史的問題にも関与してしまっているため

しばらくは炎上が続きそうですね。

新情報は随時更新させていただきますのでぜひ定期的にチェックいただけますと幸いです!!

最後までご覧いただきありがとうございました!!

いかがでしたでしょうか。

最後までご覧いただきありがとうございました!!

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